もちろん、人それぞれの事情がありますし、遺言が理由でもめてしまうご家族もいるのも事実です。なので、あれば良い、という事ではないのですが、今日は遺言書のちょっとしたコツについてお話しします。
遺言書を書く人は、まだまだ少ない
遺言書を実際に書いている人は、日本ではまだ少数派です。
でも現場に長く関わっていると、遺言書がなかったことで起きた「ちょっとした残念」を何度も見てきました。大きなもめ事ではないけれど、あったら防げたかもしれない——そういう場面です。
だから私は、遺言書に賛成なのです。
遺言書に賛成する2つの理由
家族の仲が良くても、なぜ必要なのか
「うちは家族仲がいいから、遺言書なんて必要ない」——そう思っている方も多いと思います。
でも私は、むしろ仲の良い家族だからこそ、遺言書の意味が出てくるとおもいます。
仲の良い家族でも、「思っていたことと違った」ということが起きることがあります。それは、悪意があるわけではなく、それぞれが「こういうものだと思っていた」という認識のずれから生まれることが多いのです。
例えば、
「お父さんは長男に全部渡すつもりだと思っていた。」
「私は均等に分けてもらえると思っていた。」
「実家は誰かが住み続けるものだと思っていた。」
これらはすべて、誰かが悪いわけではありません。ただ、このようなちょっとした他愛もないボタンの掛け違いが、関係性をぎくしゃくさせてしまうことがあります。
そんな状況になった時に、一言「今まで通り、仲良く協力していってほしい。」「私の気持ちを理解してほしい。」という想いが遺言として届くのか、まったくないのかでは、残された大切なご家族の在り方が変わってきます。
「想い」を言葉にして残すということ
遺言書の中で私が一番大切だと思っているのは、財産の分け方よりも「付言事項」です。
財産の分け方は、法律の範囲内で決まります。でも、「なぜそう決めたのか」「家族への感謝」「これからの願い」——そういった言葉は、遺言書にしか書けません。
亡くなった後に届く言葉というのは、生きているうちの言葉とはまた違った重みがあります。「ありがとう」「仲良くしてほしい」「この家を大切にしてほしい」——そんなシンプルな言葉が、家族の心に長く残ることがあります。
遺言書は、財産を分けるための書類ではなく、想いを届けるための手紙でもある——私はそう思っています。
遺言書と向き合うタイミングについて
遺言書を書くタイミングは、「元気なうち」が良いと感じています。判断力があり、自分の意思を明確に言葉にできるうちに書いておく。それが、家族への贈り物になるかもしれません。
「まだ早い」という感覚はよくわかります。でも現場を長く見てきて感じるのは、「早すぎた」という後悔はほとんどなく、「もっと早く書いておけばよかった」という声の方が多いということです。
私はすでに直筆遺言は作ってあります。今後、年を重ねていくにつれて、内容を精査しながら、公的な方法にアップデートして、その時に適した形で残していきたいと思っています。
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