家族信託 × 認知症対策 × 大家さんの賃貸経営
でも、少し込み入った話になると、親の理解が追いつかない。
そんな場面に、心当たりはありませんか?
シリーズ「相続と相性が良いもの」、第2回は家族信託です。
アパートを個人で持つ大家さんにとって、なぜ認知症対策として家族信託が必要なのかをお話しします。
親が認知症になると、アパート経営が止まる——大家さんに認知症対策が必要な理由
前回の第1回では、生命保険が「分けにくさ」や「納税資金」の悩みに効くことをお伝えしました。
生命保険は、主に親が亡くなったあとに力を発揮する対策です。それに対して、今回の家族信託は親が生きているうちの「判断が難しくなったとき」に備える対策で、ちょうど役割が分かれています。第1回をまだ読んでいない方は、合わせて読んでいただけたらうれしいです。
関連記事【相続と相性が良いもの①】生命保険——親の保険、あなたは把握していますか?不動産の仕事に携わって23年。相続診断士として大家さんのご相談を受けていると、相続は親が亡くなったあとの話だと思われている方が多いと感じます。でも、大家さんの家には、その前にもう一つ大きな壁があります。
それが、親の判断能力が落ちたときに、アパート経営が止まってしまうことです。
アパートの持ち主が認知症などで判断能力を失うと、持ち主本人が結ぶべき契約ができなくなります。
大規模修繕や建替えの工事契約が結べなくなります。
古くなった物件を売る、買い替えるといった判断ができなくなります。
新たな借入ができず、本人名義の預金も動かしにくくなります。
「生活はできるのに、経営はできない」という時期がある
私自身、父の加齢を感じた時期がありました。
普段の生活は、何の問題もなくできていました。食事も、身の回りのことも、近所づきあいも、いつもどおりです。
ところが、少し込み入った話になると、話の中身が理解できない。聞いたことを、すぐに忘れてしまう。前に決めていた対策の流れについて、急にまったく違うことを言い出す。
暮らしには支障がない。でも、難しいことは理解できないし、覚えていられない——そんな状態でした。
収益不動産の管理は、普段の生活とはまったく違う種類の仕事です。入居者との契約、修繕の判断、資金繰り、税金。どれも「込み入った話」の連続です。
でも、賃貸経営には支障が出る。
アパートの運営は「管理」ではなく「経営」
ここで、一つ大切なことをお伝えさせてください。
アパートの運営は、経営です。不具合が起きたら直す、クレームが入ったら対応する——それだけでは、経営とは言えないと私は思っています。
設備の入れ替え、共用部の手入れ、募集条件の見直し。入居者サービスを充実させなければ、空室が増え、家賃が下がり、収益に少しずつ影響が出てきます。
そして大切なのは、オーナーの好みや意向よりも、「入居者さんがどれだけ満足するか?」という視点で経営判断をすることです。
× 事なかれ主義の賃貸経営
- 不具合やクレームが入ったときだけ動く
- 「今まで通りでいい」と、変化を避ける
- 設備や募集条件が古いまま、少しずつ空室が増える
- 気づいたときには、収支が悪化している
◎ 前向きな賃貸経営
- 入居者さんの満足を起点に考える
- 収支をよくするための対策を、自分から打つ
- 設備・共用部・募集条件を、時代に合わせて見直す
- 健全な収支を保ち、次の世代へつなげる
判断能力が落ちてくると、真っ先に失われやすいのが、この前向きな経営です。込み入った判断を避け、「何もしない」ほうへ流れていく。
「事なかれ主義」の賃貸経営になったとき、健全な収支は保てなくなります。
この「グレーな時期」は、思っている以上に長く続くことがあります。そして、まさにこの時期にとても有効に働くのが、家族信託だと私は思っています。
「アパートの修繕の話をしても、前に言ったことと違う。」
「でも、まだ認知症というほどではない気がする。」
家族信託とは——財産を「管理する人」を家族に託す仕組み
家族信託は、親が元気なうちに、財産の管理を信頼できる家族に託しておく仕組みです。登場人物は3人です。
財産を託す人。たとえば、アパートを持っている親です。
財産を預かって管理する人。たとえば、長男です。
財産から生まれる利益を受け取る人。多くの場合、親自身です。
ポイントは、アパートの「管理する権限」は長男に移し、「家賃という利益」は親に残すことです。
アパートの名義は受託者である長男に移りますが、家賃はこれまでどおり親の生活のために使われます。親が自分のための財産を、自分のために管理してもらう形なので、この時点で贈与税はかかりません。
※税務の詳細は税理士にご確認ください。
大家さんにとっての家族信託のメリット
大家さんにとって、家族信託には大きく4つのメリットがあると私は考えています。
契約更新や修繕の手配はもちろん、入居者サービスの改善といった前向きな経営判断も、受託者が続けられます。
契約で決めた範囲で、受託者が売却や建替え、大規模修繕を進められます。
家賃は受益者である親のものです。親の生活費や介護費用に、そのまま充てられます。
親が亡くなったあと、アパートを誰に引き継ぐかまで契約で決めておけます。遺言に近い役割も持たせられます。
そして何より、家族信託は契約したその日から使える仕組みです。先ほどの「生活はできるのに、経営はできない」というグレーな時期に、すでに受託者が動ける状態をつくっておける。ここが、ほかの制度との大きな違いです。
一般的な大家さんの家族信託——よくあるパターン
家族信託も、個別のご家庭の話は書きにくいものです。ここでは、大家さんがよく組むパターンを、わかりやすく整理してご紹介します。
- オーナーである夫がアパート1棟を所有し、妻と2人で暮らしている
- 子どもは長男と長女。長男は実家の近くに住み、アパートのことも少し手伝っている
- オーナーは元気だが、最近は込み入った話が少し苦手になってきた
このご家族が家族信託を組むと、たとえばこんな形になります。
- 信託する財産:アパート1棟(土地・建物)と、修繕や管理に使う預金の一部
- 委託者・受益者:オーナー本人。家賃はオーナーの生活費として使われる
- 受託者:長男。入居者対応・修繕・契約更新などをオーナーに代わって行う
- オーナーが亡くなったら:受益者が妻に代わる。家賃は妻の生活を支えるお金になる
- 妻も亡くなったら:信託が終わり、アパートは家族で決めておいた人に引き継がれる
オーナーの判断能力が落ちても、長男がそのまま管理を続けられます。オーナーが亡くなっても、妻の生活は家賃で支えられる。そして最後に誰が引き継ぐかまで、オーナーが元気なうちに決めておける。
一つの契約で、「今」「オーナーが亡くなったあと」「妻が亡くなったあと」まで、つながった形で備えられる——私はここに、家族信託ならではの良さがあると思っています。
家族信託と任意後見人・財産管理委任契約の違い
「親の財産を管理する仕組みなら、ほかにもあるのでは?」と思われた方もいるかもしれません。よく比べられるのが、任意後見人と財産管理委任契約です。
| 家族信託 | 任意後見人 | 財産管理委任契約 | |
|---|---|---|---|
| 使い始める時期 | 契約したときから | 判断能力が低下し、家庭裁判所が任意後見監督人を選んでから | 契約したときから |
| 判断能力が落ちたあと | そのまま続けられる | ここから始まる | 続けにくい(金融機関などで受け付けてもらえないことが多い) |
| 売却・建替え・借入 | 契約で決めた範囲でできる | 本人の財産を守ることが基本で、積極的な活用は難しい | 契約内容しだいだが、判断能力が落ちると難しい |
| 見守り役 | 必要に応じて家族で決められる | 任意後見監督人が必ずつき、報酬が続く | なし |
| 介護・施設入所の契約 | できない | できる | 契約内容しだい |
任意後見人は、親の判断能力が「不十分になった」と認められてから動き出す仕組みです。つまり、先ほどお話しした「生活はできるのに、経営はできない」グレーな時期には、まだ始まらないことが多いのです。
また、任意後見人の役割は親の財産を守ることです。アパートを建て替える、売って組み換えるといった「攻め」の判断は、基本的に向いていません。
一方で、介護サービスや施設入所の契約のように、親の生活や身の回りに関わることは、家族信託ではできません。
親の暮らしは任意後見人で——
組み合わせて備えるのが基本です。
金融機関の「信託」との違い——金銭信託と不動産信託
「信託」と聞くと、信託銀行の商品を思い浮かべる方も多いと思います。でも、家族信託とは中身がまったく違います。
金融機関の信託
- 信託銀行などが、仕事として財産を預かる
- 主に「お金」を預かる金銭信託が中心
- 決められた商品の範囲で、お金の管理や受け渡しを行う
- アパートを預かる商品は限られ、日々の管理や建替えの判断までは任せにくい
家族信託
- 信頼できる家族が、財産を預かる
- お金だけでなく、アパートや土地も預けられる
- 家族の事情に合わせて、契約の中身を自由に決められる
- 修繕・建替え・売却まで、家族の想いに沿って判断できる
金融機関の信託は、お金をきちんと管理して届けるための仕組みとしてはとても便利です。ただ、大家さんの財産の中心は、お金ではなくアパートや土地です。
賃貸経営そのものを、家族の手で続けていきたい。そう考えるなら、選ぶべきは不動産を家族に託せる家族信託だと私は思っています。
家族信託のデメリットと注意点
もちろん、家族信託にもデメリットや注意点があります。始める前に、知っておいていただきたいことを整理します。
契約書の作成を専門家に頼む報酬や、アパートの名義を変える登記の費用がかかります。
受託者は、預かった財産を自分の財産と分けて管理し、帳簿をつける必要があります。
信託したアパートで出た赤字は、ほかの所得と相殺できず、翌年にも繰り越せません。
介護や施設入所の契約は対象外です。任意後見人との組み合わせが必要になります。
信託専用の口座づくりや、信託したアパートでの借入に対応する金融機関は、まだ多くありません。
受託者以外の家族が知らないまま進めると、「勝手に決めた」という不信感の火種になります。
※税務の詳細は税理士にご確認ください。
なかでも最後の「家族の理解」は、家族信託に限らず、相続対策全体に通じる大切なことです。
相続対策が順調に進んでいたのに、家族の一部に話が伝わっていなかったことで、最後に止まってしまった——そんな現場の話を書いた記事があります。家族信託で受託者を決めるときにも、まったく同じことが起きうるので、ぜひ合わせて読んでみてください。
関連記事保険・不動産・士業だけでは解決できない理由子世代のあなたにできること——「元気なうちに」が唯一の条件
家族信託には、一つだけ動かせない条件があります。
しっかりしているうちにしか結べない。
家族信託は、親と子が結ぶ「契約」です。親が契約の内容を理解して、自分の意思で決められる状態でなければ、結ぶことができません。
先ほどの「生活はできるのに、経営はできない」グレーな時期は、家族信託がいちばん力を発揮する時期です。でも、その時期に入ってから契約しようとすると、間に合わないこともあります。
正直に言います。家族信託は、「まだ早い」と感じるくらいのときに始めるものです。
「認知症の話なんて、切り出しにくい。」
「兄弟とも、まだ何も話していない。」
その気持ちは、とても自然なものだと思います。だからこそ、親の小さな変化に気づいたときが、動き出すいちばんのタイミングです。
久しぶりに会った親に「老けたな」と感じたその感覚を、相続を考え始めるサインとして受け止めてほしい——そんな想いで書いた記事があります。家族信託を考えるきっかけとも重なるので、よろしければ合わせて読んでみてください。
関連記事「久しぶりに会った親が、老けていた。」——お盆だからこそ気づく、相続を考え始めるサイン家族信託が教えてくれること
親の判断が揺らいでも、
親の想いは、家族の手で守り続けられる。
ただし、その準備は元気なうちにしかできない。
まとめ——家族信託は、親の想いを「元気なうちに」預かる仕組み
アパートを個人で持つ大家さんにとって、親の判断能力の低下は、相続より先にやってくる大きな壁です。
家族信託は、契約したその日から家族が管理を担える仕組みです。任意後見人ではまだ動けないグレーな時期にも、賃貸経営を止めずに続けられます。
一方で、費用や受託者の負担、赤字を相殺できないこと、身の回りの契約はできないことなど、注意点もあります。任意後見人と組み合わせ、家族全員が理解したうえで進めることが大切です。
家族信託は、「まだ早い」と思えるうちに始める対策です。
宮川からのひとこと
身近な家族の変化を見ていて感じたのは、「元気なうち」と「判断が難しくなったあと」の間には、はっきりした境目がないということでした。昨日まで普通に話せていたことが、ある日ふと、かみ合わなくなる。
それに、認知症の症状にはバイオリズムのような波があります。調子のいい日もあれば、そうでない日もある。よくなったり、悪くなったりを繰り返しながら、じわじわと進んでいく傾向があるのです。
調子のいい日の親を見ると、「やっぱり、まだ大丈夫かな」と思えてしまう。この性質もあって、なかなか踏ん切りがつかず、対策が遅れてしまうご家族は少なくありません。
だからこそ、家族信託は「何かあってから」ではなく、早め早めに進めておくものだと、私は思っています。
難しい制度に見えるかもしれませんが、根っこにあるのは「親が大切にしてきたアパートを、家族で守っていきたい」という、とてもシンプルな想いです。
親の小さな変化に気づいたら、それが話し始めるタイミングです。まずは気軽に、声をかけてみてください。
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