日本史から学ぶ相続の原則
私が学生時代に覚えた暗記用の語呂合わせです。有名なので、皆様もご存知ではないでしょうか?
最近、日本史を学び直す機会がありました。とはいえ年号等を覚える記憶重視ではなく、歴史をストーリーとして、ざっくり全体の流れを理解するものです。
改めて歴史上の出来事を読んでいて、気づいたことが何点かあったので今日のブログに書いていきます。
その1 平安時代——ルールなき後継ぎ争いの時代
平安時代を代表する権力者といえば、藤原氏です。特に摂関政治の時代、藤原家の中での天皇の地位をめぐる争いは、目を見張るものがあるので覚えている方も多いと思います。
藤原氏が取った戦略は、娘を天皇に嫁がせ、生まれた子を次の天皇にするというものでした。天皇の外祖父として「摂政」や「関白」の地位に就き、政治の実権を握る——そのために、藤原家の中でも娘の地位をめぐる争いが繰り広げられました。
なぜここまでの争いが起きたのか。一言で言えば、「誰が後継ぎになるか」という明確なルールがなかったからだと思います。ルールがないところに、争いが生まれる。これは平安時代に限らず、人間社会の普遍的な構造かもしれません。
その2 江戸時代——ルールが争いを防いだ時代
一方、江戸時代はどうだったでしょうか。
徳川家康は、将軍職の承継に明確なルールを設けました。「長幼の序」——つまり、長男が家督を継ぐという原則です。さらに、直系が途絶えた場合に備えて尾張・紀州・水戸の「御三家」を設け、そこから跡継ぎを出す体制も整えました。
このルールだけが江戸時代の平和な時代の理由とは思いませんが、ルールがあった結果として、将軍職をめぐる大きな争いは起きず、300年にわたる江戸時代の安定につながったのではないか?と感じました。
後継ぎの基準が曖昧
藤原家内で激しい争い
権力が不安定に移動
親族間の対立が続く
長幼の序という明確な基準
御三家という万が一の備え
年間の安定した承継
不要な争いが起きなかった
どちらが良いとか、悪いとかという話は置いておいて、ルールを決めることが、争いを防ぐ役割の一端を担った。これは歴史が物語っている一つの事実なのだと思います。
子を思う親の気持ちは、1200年経っても同じ
藤原氏の権力争いを読んでいて、もう一つ感じたことがありました。
権力を手に入れるためとはいえ、その根底にあるのは「自分の子供に良い地位を与えたい」という気持ちではないでしょうか。娘を天皇のそばに置きたい、孫を天皇にしたい——それは、子や孫の幸せを願う親の気持ちと、根本は同じかもしれません。
「自分の子供に、できるだけ良い環境を与えたい。」
「苦労させたくない。安心して生きていってほしい。」
「自分が築いてきたものを、次の世代へ引き継いでほしい。」
30~40代は、親や兄弟姉妹が大切で、家族の仲も良い。でも時間が経ち、年を重ねて相続の当事者になる年代になると、少しずつ価値観が変わってくることがあります。親や兄弟姉妹より、自分の子供や孫の方が大切になっていく——この価値観の変化は、昔も今も変わらないのかもしれません。
この気持ちは、1200年前の藤原氏も、今の大家さんも、変わらないのではないかと思います。時代が変わっても、子を思う親の気持ちは普遍的なのです。
相続対策をしようと考えるとき、その根底にあるのも、きっと同じ気持ちではないでしょうか。「自分が築いた財産を、子供たちに正しく引き継いでほしい」——その想いは、平安時代の親たちと何も変わらない気がします。
まとめ——ルールを決めることが、家族を守る
平安時代と江戸時代の違いは、ルールがあったかどうかだけでした。そしてその違いが、争いが起きる時代と安定した時代を分けました。
現代の相続も、同じことが言えるかもしれません。「誰に何をどう引き継ぐか」を明確にしておくこと——それが、家族間の不要な争いを防ぐ最も大切なことだと感じています。
子を思う親の気持ちは、1200年前から変わらない。だからこそ、その想いをきちんと形にしておくことが大切だと思います。歴史から学べることは、今も生きています。
その原則は、1200年前も今も変わらない。
東京都八王子市リアル開催 / Zoom開催 毎月開催中




